富士无限·专家观点丨为了全力以赴的孩子,我们也要做全力以赴的教育者

来源:小编 发布时间:2022/10/19 13:05:05

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生活赋予我们责任和使命,也将我们放置于同一个社会规则之下,有人安于现状,有人正在促进变革,可归根到底生活不是框,要跳脱出某种狭隘展现出更大格局,那就要保持孩子般的初心。

作为日本『社会福祉法人ゆうゆう』理事长、一位启蒙教育者,矢卷行祥老师历经与孩子朝夕相处的点点滴滴,他深信,真正读懂孩子,其实就是理解了生活。孩子、保育者们的守望相助,成就了站在前人肩膀上的我们,也成就了我们肩头上扛着的未来,一代代人的精神传承和智慧开拓因此而有内涵。

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个人使命与担当推进社会进步

在『社会福祉法人ゆうゆう』工作的员工,很多人心中都抱有某种强烈的使命。这是对过往人生中所感受到的社会的某种疑问,“为什么是这样?”,“为什么不是这样?”。

『社会福祉法人ゆうゆう』で働いてくれる職員は、何か使命のようなものを心の中に強く持っている人が多い。それは、今まで生きてきた人生の中で感じてきた社会に対する『なぜこうなのか』『なぜこうならないのか』という疑問。

我自信于比任何人都更认真地思考这些问题、比任何人都更全力以赴地生活,但当我说起这些,我的员工们会自然地说出“我也不输您”这样的话,我们法人的理念就是被这样一群员工们支持着。我们希望可以成为一个可以持续满足员工如此这般信念的法人。

私は、誰よりも真剣に考え誰よりも真剣に全力で生きている自信はあるが、そんな話を職員にすれば、『私も負けていないです』。と平気で言ってくるような職員が法人の理念を支えてくれている。そういった気持ちでいる職員の想いに応え続けることができる法人でありたい。

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作为社会福祉法人,我们要去设计一个更好的社会,让人们可以过上更好的生活。质疑一切常识,并在实践中不断突破常识。不让福祉终止于讲漂亮话,要让人们真正能够感受到美丽的社会风景。

社会福祉法人(私たち)は、人々のよりよい人生を送ることができる社会をデザインする。すべての常識を疑い実践で突破し続ける。福祉を綺麗事で終わらせず、美しいと感じられる社会の景色を目指す。

改变从生活的细微发生

当今社会中,太多的人选择放弃,当人生进入后半段,更多的人会常常把“反正就算做,结果也显而易见”、“反正像我这样的人说什么,也无力改变什么”的话挂在嘴边。

今の社会を生きていると、諦めている大人が限りなく多い、『どうせやっても結果は見えている』『どうせ自分なんかが言っても』など自分の人生の後半に差し掛かるとこのような言葉が出てきてしまう大人が増えていく傾向がある。

这种想法也渗透在生活的小事中。比如我们会把垃圾桶放在自己常待的地方,有不要的东西立刻就可以用最少的体力扔掉。成年人的这种吝惜劳力的习惯,正在阻止社会发生改变。

それは、まるで部屋の中で自分がいつも過ごしている場所にゴミ箱を置いて、不要なものはすぐにでも簡単になるべく最小限の労力で捨てることができるようにしているような生活のほんの一部からもにじみ出てきている。そのような労力を惜しむようになった大人たち一人ひとりの習慣が社会がよりよく変化しようとすることにブレーキをかけてしまっている。

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但是,曾经重视效率优先考虑垃圾桶位置、考虑生活动线的我自身,正在开始尝试从“我要如何生活”的角度,去重新考虑垃圾桶的位置。

しかし、そんな私自身も生活動線を考えて効率重視のゴミ箱の位置を、『どんな生活をしたいのか』というゴミ箱の配置に移すという小さな実践を試みている大人の一人です。

我愿把这一小小的实践想象成世界从“效率优先”到关注“我们究竟要如何生活”的“生活方式优先”去转变的洪流中的一缕微波,愉快地不断让实践累积。

世界が『効率重視』の考え方から『どのように生きていきたいのか』という『生き方重視』の考え方へ変わっていく大きな流れの一つだと勝手に想像しながら楽しく実践を積み重ねているところもあります。

站在巨人肩膀上的变革

在此之上,我想说做社会福祉相关工作的人,需要一种对一切问题不放弃、不只讲漂亮话、在实践中直面困难的信念。福祉常常被说是价值榨取的行业,但是往往这样说的人正是那些已经放弃了的人,也正是他们吝惜付出劳力的证明。

その上であえて言いたいことは、社会福祉に関わる人は、諦めずにありとあらゆる問題に綺麗事で終わらせず実践で向き合い続けていく気持ちが必要になるということ。やりがい搾取とか言われることもある業界ではあるが、そう言ってしまっているのは諦めた人たちであり、労力を惜しみ出しているという証拠かもしれない。

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为了改变这种习惯、向前迈进一步时,我们需要意识到我们是站在那些曾经不轻言放弃、努力支撑着整个行业发展的前辈们的肩膀上的,我们不仅要继承他们的衣钵,更肩负着更大的使命。曾经的时代资源丰富,我们只管消费就可以很好地生活,而现在我们正在迎来资源枯竭、未来不可预测的不确定的时代,在这样的时代,我们不能只考虑如何“消费”,更要考虑如何“产出”,新的时代需要我们用新的感性去开拓,需要思想和实践的大逆转。

その習慣を改め、前に一歩進むためには、諦めずにこの業界を支え続けて来た先人の人たちの積み重ねの上に自分達は立っているという気づきも必要で、その積み重ねを同じように続けていくだけでなく、資源が豊富にあり、それらを消費していけば生活が成り立っていた時代から、豊富な資源が枯渇していく不確実で予測不可能な時代においては、『消費する』という生き方だけでなく、何かを新しく『産み出す』という、新しい感性で新しい時代を切り開く何か大逆転の発想と実践が求められる。

只有这样,才能让比我们年轻的下一代感受到更多的可能性。思考便止于那些固执地认为自己做不到的事情,下一代也做不到的人。

そして、その可能性を自分より若い世代には、より強く感じることができる。自分達にできなかったことが次の世代も同じようにできないと思い込んだ人から思考は停止していく。

保持孩子般的初心

回顾自己10年前的手账,发现了那个曾经想要读遍世间的书,尽可能多地学习各种理论,去了解孩子的自己。看着手账上密密麻麻的小字,再次感受到当时自己心无旁骛的专注。

10年前の自身の手帳を見返すと、ありとあらゆる本を読み理論を勉強し子どもたちの姿を必死で捉えようとしていた自分が居ました。今思えば、周りが見えなくなるぐらい必死だったと小さな文字がびっしり敷き詰められた手帳から改めて感じました。


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要说现在的自己,除了学到了理论,还拥有了放眼于更加广阔世界的视野,看到了不同的景色。把全力以赴的孩子们的样子,投射到自己的人生课题中,发挥自己的感性,将其缀成文字。在这个过程中,获得勇气。

今の自分はどうかというと、理論だけでなく広い世界に目を向けられるようになり、広い視野から見える景色は変わってきたと感じています。全力で生きる子どもたちの姿を自分自信の社会の中の課題に重ねて、自分の感性で子どもの姿を社会の中の何かに重ねて文章にする。その営みの中で勇気を貰っている。

从无论何时都拼尽全力、停下来时就像电池没电了一样睡着,从不偷懒地活着的孩子们那里,学习“生活”本身。“要如何生活,人才会幸福?”,我常常感觉孩子们就像是万里无云的晴空般,向我们诉说着答案。

どんな時も全力で、止まると電池が切れたかのように眠る、手を抜かずに生きる子どもたちから、『生き方』そのものを学んでいる。『どう生きたら人は幸せに生きられるのか』、その答えを子どもたちは私たち大人に晴天の日の青空のように一切の曇りなく見せてくれているように感じる。

和孩子们共同成长

某一天,因为一点小事争吵的孩子们,第二天又重归于好了。这种变化背后的故事,是一颗“想要跟特别喜欢的好朋友一起玩”的纯粹的心,这种简单的想法或许就是我们思考世界“和平”的启示。

ある日、ちょっとしたことが原因で喧嘩をした子達が、次の日にはもう仲良く遊んでいる。その変化の背景にある物語は、『大好きなお友だちとまた遊びたい』という純粋な心なのか、このシンプルな考え方に世界が『平和』に向かうヒントはあるのかもしれない。

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我们成年人不只是要向孩子们传达些什么、教授些什么,保育者,更是能够从孩子们的日常中学到更多的职业,我甚至觉得这份工作会让我们和孩子们一样,获得飞速成长。

私たち大人が何かを子どもに伝える、教えられることがあるという姿勢だけでなく、子どもたちの日々の姿から私たち大人たちはもっとたくさんのことが学べるはずだと強く実感することができる保育者という仕事は、自分を日々子どもたちと同じぐらいのスピードで成長させてくれているような感覚すらある。

很长一段时间,那些深谙保育工作魅力的前辈们所处的地方,那个保育者的入口,我似乎终于寻到了它。

長い間、保育という仕事に魅力を感じ続けている先人たちがいつか立った場所に、保育者としての入り口に、自分は今、ようやく立てたのかもしれない。


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